雨の日曜日。しとしとと降る雨なら大歓迎なのですが、今日の雨は少し雑で、カメラを持って出掛けようと思うハズもなく・・・。
そんな午前中は、資格試験を受けるShowを学校まで送ってゆき、試験が終わるまでの小一時間、スマホをいじって過ごしたのでした。闇アテナが加わって攻略できるダンジョンが増えたパズドラは、スタミナ切れにより早々に撤退。Tumblr.でステキな写真をひとしきり眺めた後、Twitterのタイムラインをチェックしていたときでした。
こんなツイートを見てしまうと、青春時代のあの頃を思い出してしまって、なんだかノスタルジック。次の瞬間には、PCのスピーカーから「嘆きのスーパースター」が流れていました。な、懐かしい。
出会い
飯島真理さんを初めて認識したのは、マクロスの劇場版が公開されたときだと思います。1984年なので、当時のワタシは中学二年生。ガンダム派だったワタシはテレビ版からスルー状態で、もちろん映画も見てなかったのですが、主題歌である「愛・おぼえていますか」がヒット。マクロスに興味のないワタシの耳にも、その曲の素晴らしさが届いたのがキッカケでした。
初めて買ったレコード
中学時代にイチバン欲しかったのは、Technicsのステレオだったんですよ。家にラジカセはあったのですが、レコードプレーヤーはなかったんです。なので、流行りの歌はもっぱらエアチェック。FMラジオから流れる曲をひたすら録音してた記憶があります。そして、高校入学。「県立に受かれば」という条件で買ってもらうハズのTechnicsのステレオだったのですが、それは親の愛。受験に失敗したワタシに贈られたのは、念願だったTechnicsのステレオなのでした。感謝。
高校生の小遣いって、どのくらいが相場なんですかね? 三千円? それとも、五千円? 他人はともかく、ワタシの一ヶ月の小遣いは三千円でした。三千円といえば、レコード一枚買えるか買えないかの額です。高校時代のワタシは、その小遣いをほぼレコードに費やしていた記憶があります。そして、初めて買ったレコードが、飯島真理さんの「midori」なのでした。
シンガーソングライター
飯島真理とは何者か? 今の時代なら、スマホでググればあっという間にわかってしまうのでしょうが、当時はそんなことすらわかりません。レコードをターンテーブルに乗せて、歌詞カードのクレジットを読んでみてビックリしました。すべての曲を作詞作曲、しかも、ピアノのインストまで収録されていて(しかも、すごくいい曲!!)、ピアノの演奏は彼女自身。こうなると、ますます惹かれていきますよね。ちなみに彼女、国立音楽大学ピアノ科中退。クラシックのピアニストを目指していたとのことです。なるほどー。
音楽性
簡単にいうと、AOR系譜のポップシンガーでしょうか。本人もTOTOのファンであると公言しているし、実際、7枚目のアルバム「MY HEART IN RED」ではTOTOのメンバーとの共演が実現していて、爽やかなポップロックが展開されています。しかし、特筆すべきは彼女のソングライティング能力だとワタシは思っています。デビューアルバム「ROSE」の1曲目「BLUEBERRY JAM 」を聞いただけで、音楽理論などとは無縁のワタシでも彼女が只者ではないことがわかるほどです。事実、「KIMONO STEREO」製作時、アレンジャーとして参加していたジェフ・ベック・グループの鍵盤奏者マックス・ミドルトンに「彼女のソングライティング能力は世界に通用する」と高く評価されていました。
「色」シリーズ
ワタシは、ビクター時代とムーン時代初期までの7枚のアルバムに特に思い入れがあります。そして、その7枚のアルバムにはそれぞれイメージカラーが設定されていて、それぞれの印象が違っています。プロデューサーが違っているので当然といえば当然なのかもしれませんが、音を聴くと意図的にそうしている感もあって、そう思って聴くと楽しいです。ワタシのお気に入りは、4枚目の「KIMONO STEREO」。イメージカラーはグレーです。ロンドン録音のこの作品、全編にわたって漂っている、英国の鉛色の空を連想させるウェットな雰囲気が堪りません。当時の彼女を取り巻く状況がそうさせたのかもしれませんが、とにかく、そんな湿ったメロディが絶品の一枚です。名盤。
この10曲を聴け!!
最後に、お気に入りの10曲を晒しておきます。曲名クリックで Apple Music へ飛びます。
1. ガラスのダーリン
2. Mr.Groovy
3. きっと言える
4. セシールの雨傘 (Version II)
5. 瞳はエンジェル
6. 雨のStrawberryfarm
7. 9月の雨の匂い
8. 冷たい空
9. 天使の絵の具
10. Still
こうやって見てみると、重たい曲が多いですね。そう考えると、ワタシが彼女に求めていたモノって、「悲哀を湛えた泣きのメロディ」だったのかもしれません。