早苗月。五月の別名にこんなものがあるんですね。読んで字のごとく、田植えをする時期を意味するということです。旧暦での名称は皐月というらしいのですが、これは早苗月を略したものという説があるとのこと。と、こんな前フリをしたということは?
天気は晴れ。西の空に薄く雲がかかっているようですが、夕焼ける頃にはいい表情を見せてくれることでしょう。と、そんな期待を抱いて走るハスラーの助手席にはカエルさん、後部座席にはカメラバッグが鎮座ましましています。R11から山道に入ってひとしきり、点在する田んぼにはすでに水が張られています。そして、そんな光景を眺めながら辿り着いたお目当ての場所は、水が張られたばかりの水鏡の風景。至るところでまだ轍の跡が残っているのは、一台のトラクターが忙しく行き来しているからでしょう。

奥の棚田。偵察がてらに来てみましたが、水はすでに張られているようです。しかも田植え前。水鏡のコンディションは上々ですが、このロケーションは人気スポット。予め三脚を立てておかないと撮影場所がなくなります。ということで、いろんなロケーションで撮りたいワタシなどは未だにちゃんと撮影したことがありません。今日もまた夕暮れる頃に改めて訪れてみようと思っていますが、さて、どうなることでしょう。



まだちょっと日が高いですからね。こんなときは望遠ズームを装着して、ぶらりぶらりと散歩でもしてみましょうか。そして、いつもなら撮らないような印象の写真でも。



もうほとんどの田んぼに水が入っていたのですが、張りたての田んぼはまだ仕上がってない感が強いですね。完全な水鏡になるにはまだもう少し時間が必要かもしれません。ただ、田植え前の完全な水鏡に遭遇するにはかなりの強運かいつでも通えるたっぷりの時間が必要なわけですが。




散歩は続きます。毎年のように訪れている棚田なので、どうしても似通った写真が多くなるのは致し方ないところ。ということで、少しでも印象の違ったロケーションをと思うのですが、なかなか狙い通りにはいかないものです。


いよいよ日が傾いてきました。そろそろ奥の棚田へと折り返さなければいけません。と、そう思っていたところを引き止められた理由がコチラ。ワタシとカエルさんの目の前を悠然と横断してチラリとコチラに目線をくれたのは、もちろんそういうことですよね。ということならば、撮らないわけにはいきませんでした。



猫たちとひとしきり戯れたあとは、奥の棚田へ急ぎます。とはいえ、ホワイトバランスが崩れる時間はすべての風景を魅力的に見せるのです。そんな情景に惑わされながら、止まって撮って、撮って止まって。そして・・・

ほとんど諦めかけで戻ってきた奥の棚田は、まさかの貸し切り。例年なら三脚がズラリと並んで割り込む隙間さえないのですが、これはどうしたことでしょう。今日の空はそれほど綺麗に焼けているわけではありませんが、これはちょっと嬉しい誤算。とりあえず、空と雲の調子がいいうちに縦位置で一枚。そして、↓にスペースが出来たので、AIに詩を綴らせてみました。
山の端(は)に
今日の終わりがやってきて
空はやさしく 紫に染まる
静かな田の面(おもて)は
風もなく 雲を映す
まるで空が 二つあるように
木々は影となり
語らずに 佇む
時はただ 流れることを忘れて
遠くの山の稜線も
やわらかに輪郭をぼかし
一日の労(つか)れを そっと包む
この一瞬を閉じ込めたくて
言葉より まなざしで
心の奥に しまいこむ
悲願というほどのものではないのですが、撮りたいなぁと思ってから何年の月日が経ったのでしょうか。まず、場所を特定するのに5年ほど。そして、撮影のタイミングを図るのに3年。と、書きながら思ったのですが、そんなに執着してたわけではなさそうですね。けれど、ここからの眺望はやはり心にグッとくることに疑いの余地はなさそうです。

「もう帰る? Showがお腹空かせてるだろうし。」「そうやね。あと何枚か撮ったら。」と、あと何枚かが長秒露光だったものだから、この会話の後もなかなか撤収することにはならなかったのですが。しかも、その写真は使わないという(笑)